テニス関連メモ

テニスの王子様に関するまとめメモ

喪失と会得のシークエンス



全立後半に備える時系列整理






 全国大会決勝戦では、精神面と身体面の双方向から喪失と会得が繰り返し描かれた。無我・忘我・自我、病・イップスといったキーワードで表現されたそれらを順序立てて紐解く。勝利は得たものか。反面何かを失ったのか。S1を戦った彼ら二人を中心に試合決着までの道を改めて辿る。







全国大会決勝戦・・・両部長を欠いていた関東大会から、双方フルメンバーを揃えて臨む試合

青学→全国制覇に向けての最後の一戦、全国2連覇中の立海に挑む

立海→三連覇がかかった一戦、関東大会でのリベンジマッチ、部長幸村の復帰戦

 



そんな大舞台で試合開始時に越前リョーマが不在軽井沢から電車のトラブルで東京へ帰ってこれない・・・越前リョーマという存在の欠落


ヘリによって東京入りし、S3の決着とほぼ同時刻に会場に到着した越前リョーマ

↓しかし

軽井沢での修行中に記憶喪失に・・・S1を任せるリョーマという戦力の喪失

リョーマの状態・・・テニスに関する記憶・技能を失った状態 =忘我?







テニスを知らないリョーマを私達(含作中登場人物)は知らない為、これはリョーマではない、テニスという核を忘れた不完全なリョーマという捉え方/“人間”にテニスは必携ではないけれど、“越前リョーマ”にはテニスが必須という刷り込みがされている(※1)

 


その状態のリョーマが観戦する試合→乾・海堂vs柳・切原というテニスを逸したデスマッチ

悪魔化し戦う切原赤也→無我の境地とは異なるピーキーな状態(また、それを試合終了まで維持した)

 







切原赤也という存在

かつてリョーマと野試合を行い、リョーマが無我の境地へ足を踏み入れるきっかけとなる

リョーマの覚醒を見て“限界を超えてぇ”と呟く 

→自身のコントロールを失う事(無我の境地)で瞬間的に得た強さに焦がれている描写




野試合直後の関東大会で自身も無我の境地を経験する

↓その無我の境地発現のトリガー

視力を失った不二周助 (不二は青学への愛着を獲た事で視力を失う) ・・・切原は不二に敗北




無我の境地では勝利が得られなかった切原は悪魔化へ転換した?立海主導で?それを覚醒と呼んでいいのか?

自我は失わずに性能を高める仕様が悪魔化なのか / But引き換えに試合中の記憶を失くしている


 



そして)記憶喪失リョーマは悪魔化切原ではなく、血まみれの乾に対し心を動かされている

・・・忘我中のリョーマが思い返す自我の中に、悪魔化(≒赤目化ひいては自身の無我)に対しての思い入れがない?

  →乾の姿(青学の為に勝ちを掴もうとする姿)は心の琴線に触れるのか


何故?)“青学の柱ってやつ”を務める意識が越前リョーマの自我にあった?※越前リョーマの自我に“青学”は必要か?

 





リョーマが「乾先輩・・・」と呟いた事をきっかけに記憶を取り戻そうとする桃城

Q)どうやって? →ひたすら試合形式で記憶喪失のリョーマに打球を打ち込む マジか




当然最初は打ち返す事ができないが、体がテニスの動きを覚えている為、徐々にラリーが出来るようになる→身体上は無我の境地と同じ状態(意識の外側で体が動く)

・・・超スピードでのテニスの技能の会得(出来なかった事が出来るようになる、成長・成功体験) / かつて倒したほか選手達とも次々に対戦し、勝利体験を重ねる



※このとき真田は来るくせに切原は来ない 

無我状態で勝利した切原戦は、決勝S1へ向かう自我を持った“青学の越前”には不要なものだったのか?                       →)結果、リョーマの記憶は無事戻る マジか 


 





★この短期間で越前リョーマが得たもの

・忘我→自我の復活の短期間で習得したテニスの経験値

・青学を優勝させるという柱としての自覚

・風林火陰山雷の雷の経験

 









○対戦相手 立海大附属部長 幸村精市のテニス

どんな打球も難なく返球することで、相手が戦意を喪失しイップスに陥っていく



能動的に“五感を奪う”・“五感剥奪”というより、相手が五感を失っていく“状態” ≒技ではない(※全国決勝時)


①戦意喪失→②イップス→③五感干渉→④テニスの崩壊→⑤相手の自滅

※五感・・・触覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚







S1以前に越前リョーマに起こった事

無我の境地(vs切原戦) 

無我のコントロール(百錬への布石)

記憶喪失、テニス技能の喪失

テニス技能の再取得

 記憶の回復

S1へ







S1以前に幸村精市に起こった事

無我の境地の会得、幸村のテニスの確立(時期不明)

免疫系の難病の発症(昨年秋)  病床に臥し、思うように体が動かせない身体の自由の喪失状態(身体の自由の喪失=テニス技能の喪失)

手術、リハビリによるテニス技能の再取得

 ↓

S1へ

       






両者とも試合以前に一度テニスが出来なくなる経験をしている



しかし、その間リョーマにはテニスが出来た頃の記憶無し/反面、幸村にはテニスが出来た頃、全国制覇に導いた記憶あり


   →テニス技能の回復中に彼らが抱いた思いは両極端なものだったと考えられる

出来るようになる喜び ⇔ こんな事も出来ないのかという憤り


 









S1中の越前リョーマ

無我の境地(百錬?) 

五感の喪失(身体の自由の喪失) 

テニス技能の喪失への苦しみ

「テニスってこんなに苦しいものだった?」

喜びの再認識 「テニスって楽しいじゃん」

↓  

テニス技能の再取得 

 天衣無縫の極みへ

 ↓

 勝利







S1中の幸村精市

無我の境地を押さえ込む (無我の境地の否定)   

「ボールは分身などしない」

触覚が失われていくことに言及

視覚が失われていくことに言及

  リョーマの打球を見失う 

  「テニスを楽しむだと?ふざけるな!」

  (天衣無縫の極みの否定) 

 分裂した打球を返球

 ↓

 敗北

       




 


リョーマは幸村のテニスにより試合中に再度テニスの技能を失っている


・技能が無い状態≠技能を失った状態

前者:初心者の頃など伸びしろがある形  

後者:経験者に対しての表現・あるべき技能を無くしてしまった形




後者の身体の不自由さを経験したのは幸村のみ

(※手塚のイップスはテニスではなく、左肩に限定)

!)今までの対戦相手はテニスの技能を失う事を経験したことがなかった




But)リョーマはテニスが出来ない事を忘我中に経験した…そしてテニスが出来る喜び、楽しさを知った(獲た)ばかり 身体的には後者だが、精神面は前者(初心者)

 








「どこへ打っても返球されるイメージが脳に焼き付いて・・・」(金太郎)

→勝つためのテニスでは、相手に返球させない事(=ポイントを奪う事)が必要 / ラリーは不要

でも!)少なくとも忘我中のリョーマにとって、ラリーが続く事は苦しい事ではなかった筈


「すごいよリョーマくん、もうラリーが続くようになるなんて」(カチロー)  

むしろラリーが続く喜びがあった?


 









・テニスって楽しい⇔ふざけるな

テニス=強くなること、成長することとしてきたリョーマ Ex)「強くなりたい…もっと、もっと!」

テニス=勝つこと、勝ち続けることになっている幸村 Ex)「皆、動きが悪すぎるよ」 


 









※天衣無縫(の極み)なんてもんは最初からねーよ、という越前南次郎の発言

・・・誰の中にもある?テニスを始めたころのわくわくする気持ち?




テニスの技能を維持したまま、その気持ちに立ち返ることが発動条件?→一方、紙面の表現上では可視化されている・・・(青緑系のオーラ表現)








・天衣無縫の極みは「技」としての形はなく、あくまで「状態」として存在するのではないか

Ex)跡部「氷の世界」、大石「大石の領域」など球に直接影響しない自身強化状態・・・幸村のテニスも状態に当てはまる


 




無我の奥の三つの扉(千歳千里談) 「百錬自得の極み」 「才気煥発の極み」 「天衣無縫の極み」


そもそも天衣に限らず無我の三種の極みの全ては、技ではなく状態なのでは?


百錬と才気が必殺技のように扱われているから読み間違えがち


状態発動の利点…打球を介さずに相手に影響できる、極論テニスじゃなくても自身に有利な状況の構築が可能







無我の境地・・・頭で反応するよりも先に体が反応し様々なプレイスタイルに変化する“状態”


才気煥発の極み・・・試合をシミュレートする事で展開が分かる“状態”


百錬自得の極み・・・無我のオーラを左手一本に集約し打球の威力を倍返しする“技”?

↑これって手塚だからこうなってるだけだよね?百錬の肝は倍返しではなく、オーラを局所化する事とその部位の強化ではないのか (オーラを左手一本に集約する事は左利きの手塚だから作用する、倍返しも細腕である手塚だから作用している)


【本来の】百錬自得の極み・・・無我の境地を局地的に使い、使用部位の強化をしている“状態”


そうなると)全氷S1でのリョーマの無我のコントロール百錬の一端であったといえる


天衣無縫の極み・・・テニスを楽しむ気持ちに立ち返り、思うが侭にプレイする“状態” 


 












 


全立後半に向けての中間まとめ(仮)


  無我の境地で自己の思考の喪失を経験し、記憶喪失という忘我を経て、自我に目覚める。全国大会決勝の舞台でリョーマに起こった事とは精神面での生まれなおしである。身体に降りかかった喪失・会得がきっかけとなって精神面の変容を引き起こしている。記憶喪失時の頭より身体が先行する事は無我によって既に耐性があり、ライバル達と試合を行い早回しで行う事で経験値の獲得と【青学の越前】としての自我を発現させた。そして真田の雷を食らう事で、テニスプレイヤーとしての【リョーマ】の自我を掘り起こす布石を打っている。【青学の越前】として未経験の技を体験することで、【リョーマ】として未知の技を打ち破る強さを求めるという心境を発生させる方向へ舵を切っているのだ。記憶喪失があった(=記憶喪失から目覚めた)故に、イップスを破る足掛かりをそこで獲得し、【リョーマ】としての自我に自覚的になった。そしてその自我を軸とした天衣無縫という極致の状態に達した。


  対して幸村は、身体の自由を失う事で同様にテニスを失い、リハビリによって技能を再習得した。しかし、その過程で得たのは上達していくプラスの経験ではなく、出来た事が出来なくなっている事を思い知らされるマイナスの刷り込みだったと考えられる。幸村が得たものは、楽しさではなく辛さであり、それを乗り越えてコートに戻るといったテニスへの執着である。その執着の元には【2連覇中の立海大附属】という帰属意識が伺える。8月23日術後、麻酔から覚醒した時に、聞かされたのが立海の敗北だった時、自らが学校を背負って勝たなくてはという思いに幸村が至る事は想像に難くない。この時点での幸村の原動力は、テニスと勝利への渇望であり、テニスを続ける理由(立海部長として復帰する理由)は、勝つ為以外に無いのである。


  テニスの王子様の世界において、天衣無縫の極みが一つの到達点であると考えると、自由に自分の為にテニスをするという事が一つの理想として表現されているとわかる。それは大抵楽しい記憶であり、天衣無縫のリョーマが幸村に勝利する事は、楽しい経験が辛い経験より優越することを表している。幸村の内部にある帰属意識を自己へのしがらみとして捉え、リョーマの得た自由さと対比させているとすると、学校単位で応援しない方が良いのか?と少し悲しい気持ちになった。


 





 


  病によってテニスを奪われた幸村が、イップスによって対戦相手のテニスを奪うという構図については、既に散々言及されてきたと思うが、今回改めて整理した。かなり記憶喪失に拠って考えてしまったので、もう少しイップスについてと切原の悪魔化について突き詰めて考えたい。あと学校に対する意識についてもよくよく考えたい。実は【青学の柱】って青学R陣の中で全く公用語句じゃない説を推しています。


 








※)題名がめちゃくちゃ上手く機能している。『テニスの王子様』を読んでいる限り、主人公からテニスの要素が欠落したら、それはやはり“テニスの王子様の主人公=越前リョーマ”ではなくなってしまうのである。


余談)手塚国光はやっぱり強い  手塚ゾーンというラリー特化技持ちな手塚。相手から打球が返ってくることを全く怖がっておらず、幸村のテニスとの謎の相性の良さが伺える。肩イップスを克服し、手塚戦法(ラリー重視で相手の隙をついての零式等の不可触技でポイントを重ねる)に忠実に試合をした手塚と、ひたすらに打球を返しまくる幸村の、見た目は地味だろうけど白熱するだろう試合は見てみたいカードであった。幸村が零式を攻略できるか、もしくは打たせない状況に持っていけるか、手塚側はイップスに追い込まれないまま試合が続けられるかが鍵となるのでは。零式は予備動作・コート領域・タメ・相手の回転等の満たすべき発動条件がほぼ無いので、手塚が零式を打てない状況がどれだけあるのかは不明だけど。





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