氷帝における消費と幸福の関係性について
課題をもらったので、できるだけ真面目に考えてみました。
氷帝学園中等部、創立100周年に寄せて。
氷帝における消費と幸福の関係性について
氷帝において消費と幸福の関係性は希薄であると考える。氷帝学園における消費とは、呼吸に似ている。私たちが呼吸と喜びを結び付けない事と同様に、氷帝学園も消費と幸福を結びつけはしない。代表的な氷帝生のライフスタイルと、それを支える氷帝学園の特色から、彼らがいかにして消費と幸福と関わっているか紐解く。
氷帝ブランドの源流
氷帝学園中等部(以下氷帝)は、1919年に創立された小(幼)中高大一貫の教育機関である。優れた環境に身を置くことで豊かな感性を育むことを教育理念とし、自立した人物の育成を目指している。特徴としては小(幼)中高大一貫校として連携が盛んであること、また圧倒的な資金力のイメージが挙げられる。氷帝の金持ちイメージについて跡部の影響は多くあるが、それ以外にも校内の設備や、学校行事の内容などから学校自体に費用がかかっていることが分かる。都内の中学校としては判明している中で一番古い設立であり、比較的広い敷地面積を誇る。数字からも分かりやすく、氷帝はお金持ち名門校として都内屈指であったと推測できる。
氷帝が設立された年にも注目しておきたい。氷帝の設立は1919年、和暦大正8年。パリ講和条約からのヴェルサイユ条約が締結された年だ。校風も情勢に漏れずしっかり西洋にかぶれている。国連に加盟し、列強に加入した日本を見て、そろそろ日本もいけるじゃん?ハイソな校風の学校もあってもいいと思うんです!そうだそうだ作れ作れ!で設立している。大正デモクラシーの中、こういう考え方の教育があってもいいのでは?という自由教育のひとつが氷帝だと感じる。自由主義の恩恵を受け、発展した力のある商人や町人などの富裕層が、氷帝の設立の大本となったのではないだろうか。かつては商人であった個人商店が発達し私企業となった。加えてメディアの発達により、広告が意味を持つようになる。ペンは剣よりも強しを知り、日露戦争に勝利し連合主要国となりつつも外交の荒波に揉まれる政府高官たちを見て、時代の潮流に敏感だった市井の人々は、自由文化を流行させた。その広告塔のひとつに氷帝もなったと推測する(余談1)。
1919年に都市計画法が施行され、以降建築に対する法の取締りがされることとなるが、絶対氷帝はその前に勝手に建て始めている。公布されていて知らないはずないのに、でももう建てちゃいましたって氷帝は抜かしてくる。テニスの中で明らかになっている設立年は中等部や中学校の設立年なので、関連する大学部はもっと早い段階からあったのかもしれないが、氷帝に関しては大学の自治権獲得運動が背景にある大正時代に一気に一貫校として作った感がすごい。
氷帝は教育理念に人としての育成を掲げており、教養を持つことへの意識がとても高い。現代では音楽美術といった芸術科目やテーブルマナーなどに力を入れている。そういった教養主義は、創設当時の出資者である市民の富裕層が、武家に対しても華族に対しても無教養であったことに対する反骨精神があるのかもしれない。江戸明治の封建的な教育から一線を画し、自由を謳って西洋的な新しい文化を取り入れることで、文化的という視点から、従来の教育論より優位に立とうとした名残である。創立時の成金要素が約100年経った今も教養のある環境に身を置き、ハイグレードを自称する氷帝からは感じられる。
そんな氷帝は在学中の生徒たちに、氷帝としての自覚を持って行動するような教育をしている。氷帝の看板を背負った状態での学外との関わりを持つことも多い。氷帝のカリキュラムは生徒自身が学校の一員であることを自覚させ、また自身の振る舞いが氷帝の評価に繋がるという意識を高める仕組みになっている。幼稚舎単体、中等部単体と独立させるのではなく、長い一貫教育を意識的に過ごさせることで、氷帝学園生としての自覚を育てている。学習の面においては、専門性の高い科目が設置されており、入学案内ではスペシャリストから、ゼネラリストまでを育成すると謳っている。目指す人物像の選択の幅も広い。その沢山の選択肢の中で何を選ぶか。氷帝が在学中に生徒に体験させながら教えているのはここだ。社会の中で自身がどう動くべきか、何を選択すべきか、考えて判断することのできる人物の育成を目指している。生徒主導による委員会制度は、実際の議会制度を元に作られており、恐らく全ての生徒が何らかの委員会に所属している。生徒全員が議会制度の一端を担う仕組みになっていると考えられる(注1)。委員会代表やクラス代表として、他学年や関連幼稚舎・大学などと接する機会がある。各個人に役割を与えつつ、その中で何をするかは生徒に主導させているようにも見える。限りある学生時代は、部活や勉強や委員会や趣味など、好きなことに打ち込みがちであるが、定まった範囲でのみ学生生活が終わることの無いよう、多くの場所で人と関わるよう学生生活が設定されている。多角的、多面的に個人を育てる教育だ。学校という縮図の中で自身がどう動くべきか、考えて判断することのできる人物の育成を行っている。氷帝ではその判断の根拠となるものを教養として考え、重点的に学ばせ、その判断に基づいた立ち回り方や行動をとる場数を学生生活の中で踏ませている。
豊かさという基盤
そもそもテニスの王子様登場学校において【私立青春学園中等部】、【私立聖ルドルフ学院中学校】、【私立山吹中学校】、【私立立海大附属中学校】、【私立比嘉中学校】が私立中学として挙げられる。実は氷帝学園は私立と明言されていない。しかし、20.5巻にて入学志願者案内の文言があるため、要受験の学校であることが分かる。都立か私立と考えられるが、私立校であると仮定して話を進める。この氷帝学園が私立でないことがあるだろうか(反語)。
氷帝の設備はテニス部という規格外はあるが、殆どが氷帝に通う一般生徒に平等に開放されている。カフェテリア、シアタールーム、外国文学蔵書数都内1位を誇る図書館、サロン、一般開放もする屋内プールなどが他学には無い氷帝の設備面での売りでもある。氷帝に入学した時点でこれらを平等に使う権利があり、設備を活用するような学校行事も多く設定されている。テーブルマナー講座、オペラ鑑賞会など、氷帝に通っていれば希望次第で、それらを享受することができる。また海外への渡航の機会も多い。修学旅行では例年海外が選出され、昨年はラスベガスへの海外遠足、ドイツへの修学旅行が実施された。卒業旅行も学校行事として設定されており、希望を出すことで交換留学生として短期間の留学も可能だ。氷帝に入学した時点で、程度は違えどこれらの恩恵は約束されている。もちろん入学金等、まとまった金銭は入学当初や年度当初に支払われている上、交換留学等は諸費用もかかると思われる。しかし他学と比較にならないほど機会が多い。
氷帝に通う生徒は、自身の教育環境が一般より優れていることを知識として知ってはいても、その差を体感することはない。氷帝学園に入った時期が早ければ早いほど、氷帝学園での普通に慣れていく。自身の環境が資金によって作られているものだと、彼らは知識としてしか知らずに、日常を普通のものとして享受するのだ。潤沢な設備と制度は、与えられる中で、自身の成長に本当に必要なものを考え活用する場としても機能している。これは価値の有無を自身で判断できるように、という氷帝の理念に繋がっていく。氷帝生に比較的迷いのない行動が多く、頑固なのはそのためだ。彼らは教養を拠り所とする自己の選択に無意識的に自信がある。
テニスのプレイを見ても自身のスタイルが一貫している事が分かる。長所を伸ばし短所を克服することは当然として行うが、プレイスタイルを大きく変えることはしない。プレイスタイルがぶれないのは、自身の選択を重んじている為だ。それは時に勝敗という確固たる結果よりも優先されている。団体戦なのに。向日岳人が飛ぶのを止めない理由も、芥川慈郎がサーブトスを前方へ放る理由もそこにある。彼らは劣勢でも自身のスタイルを変えない(余談2)。
日常に埋没する消費
氷帝生は前述の通り、自身で取捨選択をする方法を学校生活で身につける。しかし、そもそも幼稚舎からの卒業生が多数を占める氷帝で、自身の意思で氷帝学園を選んだ生徒がどれくらいいるだろうか。他私立学校は中学受験であるが、氷帝学園は幼稚舎受験での入学が多数派だ。彼らの殆どは親世代の意思によって氷帝へと入学したと考えられる(余談3)。氷帝学園という前提において、取捨選択とは、既に存在している選択肢の中から自分に必要なものを選ぶ方法だと考えられる。それは氷帝学園という環境を親から与えられ、その中で自己に必要だと思うものを選ぶ体系が表している。氷帝学園においては【有る】状態が通常なのである。消費は対価を得る為に行われる行為だが、氷帝生は今まで無かったものを手に入れるために何かを消費するという感覚が薄い。物・機会・選択肢などが【有る】状態が常日頃の彼らは、消費という行為に接するタイミングが少ないのだ。
金銭の消費は分かりやすく身近な消費として挙げられるが、そもそも氷帝生でいるだけで金がかかる。氷帝という学校は、さまざまな消費の機会を【学費】として大きく括ってしまう。これは生徒たちから消費の概念を薄める理由の1つと考える。氷帝に入学すること、氷帝生でいること、氷帝に進学すること、全ての選択に金銭の消費は行われてきているのだが、日常を過ごすことに消えた金を、生活を得る為の消費だったと捉えることは難しい。氷帝生でいることを自らの意思でもって選択したわけではない部分も、彼らの意識が消費から遠ざかる理由といえる。氷帝生として恩恵を受けるきっかけは、あくまで幼稚舎受験時の親の選択だ。
幸福へ向かう氷帝生
彼らは金銭を消費する事で、学生生活という日常を得ている。かつ、その図式に気付いていない。人は日常の中で何か起こったとき、特別なことが起きたときに瞬間的に幸福を感じる。幸福は相対的だ。生きているだけで幸せだという感覚は、かつて生死の境をさまよった経験がある人から聞く言葉である。幸福は相対的であり、自発的だ。幸せを探す、という文句は端的に幸福の有り方を表している。幸せに自身が気付く必要がある。幸福に気付くか気付かないかは、個人の感覚と比較対象がどれだけ自身の引き出しにあるかにかかっている。氷帝生は彼らの日常が幸せだと気付かないだろう。画一化の代名詞である日常から、幸福を感じることは難しい。消費の上に成り立つ日常を、彼らは能動的に幸福とは認識しない。
幸福には一時的幸福と恒久的幸福がある。一時的幸福とは欲求が満たされる事で感じる満足、目標が達成されたときに感じる興奮など、瞬間に感じる高揚を指す。一時的幸福は絶対的であり、各瞬間の喜びは幸福な思い出として心の中に保管される。対して、恒久的幸福とは幸福が持続している状態といえる。恒常的幸福中に一時的幸福が起こることもある。恒常的な幸福は変動的だ。幸福な状態に慣れることで、自身の環境を幸福として捉えなくなることもある。恒久的幸福を持続させる為には、意識的に自己の環境を幸福だと思う必要がある。一時的な幸福を連続して体験することも持続に有効な手段と言える。
欲が満たされる時に人は瞬間的な幸福を感じやすい。物欲を満たすことは瞬間的幸福と結びついている。表1に氷帝生の今欲しいものとお小遣い使用例を纏めた。今欲しいものを欲望、お小遣い使用例を消費として捉え、2つの関連を考えた。
表1
氷帝生の今ほしいもの | お小遣い使用例 | |
テニスコート | 部員におごってあげる | |
忍足 | ヒミツ→今はもう無い | 舞台や音楽鑑賞 |
宍戸 | レアなジーンズ | 本やCD代 |
向日 | 背中に羽がほしい→身長・・・ | 友達と遊ぶこと |
芥川 | 部屋に大きいソファーがほしい | 新作のポッキー |
鳳 | 世界平和→大切な人を守る強さ | 楽譜 |
特に・・・ありません・・・→お花を貰ったので花瓶を・・・ | 特になし | |
日吉 | S1の座→氷帝の全国優勝 | 古書を買うこと |
滝 | アンティークのペット皿 | 不明 |
下線を引いた人物は、ほしい物に単純な消費活動では手に入らない無形物を挙げている。樺地は花瓶を挙げているが、これはあくまで貰った花を活ける場所がほしいのだと推察したため、下線とした。彼らは消費によって得られる一時的幸福よりも、恒常的幸福を得ていく為の手段や環境を欲していると思われる。尚、忍足は黙るように。表内二重下線の跡部はテニスコートをほしい物に挙げているが、すでに個人としてテニスコートは国内外に所有しており、あくまで好きなときにテニスができる環境を増やしたいという欲ではないかと推察する。しかし単にクレーコート、ハードコートが増えたからグラスコートがもう一面欲しい、といった収集に依存した欲である可能性もあるため、明言は避ける。
【向日・鳳・日吉】は環境の変化や自身の変化を望んでいる。彼らは現在の日常の変容を求めていると考えられる。特筆すべきは作中時間が進むにつれて、無形物を選んでいた彼らの欲しいものが変化している点だ。向日は羽根という手に入らない欲望を、身長という手が伸ばせるレベルの現実に落とした。鳳は世界平和という抽象的なものから、強さという自己判断可能な範囲へ縮小させた。日吉はS1の座から全国優勝という目標の更新としての面を持つ変更をした。彼ら三人は恒常的幸福の基盤となる力や環境という無形物を欲している。その上、ほしいものを変更させていくことで都度都度の瞬間的幸福を感じる機会も増やしている。目標や欲望を小さく(小刻みに)設定することで、達成されるごとに小さい幸福間を得ることができる。人生を幸福に生きる為に日々目標を設定することは、方法として正しい。彼らは欲しいもの・目標を自身の中で切り替える方法で、消費を通さずとも達成感を得やすく幸せになれる方へ舵を切っている。
一方、表1中の有形物からは氷帝生の生活基盤と、生活の中の優先順位をうっすら探ることができる。レアなジーンズ、アンティークのペット皿からは、余裕のある生活を送っている事がわかる (芥川の大きいソファーは物質的でもあり、寝る為の環境つくりとも解釈できる。どちらにせよ大きいソファーが入る部屋が自室と言うことは分かる) 。舞台・音楽鑑賞、古書、楽譜からは自身の趣味に没頭できる環境が伺える。
まとめ
氷帝生は欲しいものに環境を挙げるなど、幸福を消費が関与しない位置に定めがちである。それは消費に対しての感覚が希薄であること、また環境を整えることや自身の教養を磨くことが至高であるという教育を受けている為だ。消費によって幸福を得る行為は単純で分かりやすいが、そこに安住しないよう氷帝は教養主義でもって感性を学ばせる。そしてその氷帝の教育は、幸福を得るための手段に消費を必要としない氷帝生のライフスタイルに色濃く影響している。
注1)各人物紹介にて他学校では委員会所属なしが見受けられるが、氷帝は全員が委員会に所属している。
余談1)そして学校の設立を考えるとき、立海を忘れてはいけない。明治11年の創立。東大と一年しか変わらない。最古の私立中学じゃないだろうかと思う。教育勅語以前の学制の公布されていた時代である。明治政府の主導で国民に対して教育を受けることが提唱され、義務となっていった。教育体系を作ろうとしていた時代の学校が立海なのである。政府の教育観が、「学問は国民各自が身をたて、智をひらき、産をつくるためのもの」という近代市民社会的な考えから、教育勅語の示す忠君愛国を基本とする考えへ変容し、それを教育の根幹となっていた時代だ。なんかもう絶対氷帝と相容れないのがわかる。間逆なのが分かる。以前、立海は宗教で氷帝は政治だという文章を読んだことがある。教育を受けることを国民の義務とし、それをもたらした国に感謝しその教育論に従う形はある種盲目的だと言える。教育論を勅語に乗せ天皇からの授かり物として考えると尚のこと宗教らしさが伺える。動乱の幕末時代を悪とすることで明治政府は正統性を国内外に掲げた。泰平の世の中で教育が受けられることは、政府にとって求心力を高めることの一つだった。一見すると跡部は宗教と見られがちだが、実は立海の設立時期と歴史から覗く愛国主義さと盲信さは幸村の求心力に通じていると考える。でも殴られそうなのでここで止める。
大正デモクラシー時期にかこつけて色々氷帝の設立を考えてみたけど実際のところ、氷帝のモデルは恐らく慶應の中等部。都内名門校としてマッチする慶応義塾中等部がさくっとモデルになったのだと思う。なので、お育ちよさげでシュッとしてそう、とかそんな感じが氷帝のイメージなんだと思う。実在モデルから言うと立海は恐らく早稲田かと。
余談2)向日や芥川や鳳・日吉が顕著である。飛ぶより持久力という基礎を特訓すべきだが、筋肉をつけすぎると跳躍に支障が出る。それを向日は嫌がる。ボレー一本でレギュラーになり、手首の柔らかさという天性の武器があるゆえに居眠りが許容されている芥川。同じくサーブ一本でレギュラーにのし上がり、全国大会でもサーブの速さに磨きをかけた鳳。団体戦に所属している以上、他校に勝つことを一番重要視すべきなのに、下剋上を信念に日吉はS1に固執する。良い所を伸ばし、そこで勝負をさせるのが氷帝のオーダーだった。関東S2や全国D2は氷帝らしい黒星だ。ここでも立海と相容れないのが分かる。全く相容れないのが分かる。ま、真っ向勝負を続けていいのか!?という真田の戸惑いの声が聞こえる。氷帝だったら続けてよかった。真っ向勝負が得意ならそれをやったって良かった。何しても良かった。氷帝は許容の文化とプラスのアタッチメントが多い。実際負けてもレギュラー落ちしていないし。真田の鉄拳制裁や、幸村の島流しオーダー(※)が当然の立海とは相容れない。立海はマイナスのアタッチメントの文化だ。そこまで勝ちに固執できない甘さが氷帝にはある。
※関東黒星を容赦なくD2とS3に配置する幸村の全国決勝鬼オーダーの事。S1からS3への真田、S2S3からD2の柳切原、白星だったプラチナをD1へ格上げし、D1白星の仁王をS2へコンバート。柳生は海堂に塩を送ってしまったため干された。
ただ自己を曲げないことはメンタルスポーツであるテニスにおいて良い面もある。テニスの王子様において最強候補であるリョーマは、自分のペース作りを圧倒的に得意としている。リョーマは相手を煽る事で自分のペースを作り、試合の流れを優位に運ぶ。その手段として、通り名での呼びかけや技の模倣を行っている(Ex裕太への弟呼び、跡部へのサル山の大将呼び、裕太へのライジングショット、真田への風等)。呼びかけについては奥が深く、言われる対象が通り名に自覚的だと効果半減という面もある(Ex不二に対する切原の天才呼び等)。そして氷帝では跡部が他者も自身も呼びまくる上に褒めまくるので、いくら通り名でペースを乱そうとしても難しい。そして得意を伸ばす一芸特化型が多い為、技の模倣もしにくい。氷帝の精神的なペースの乱れなさは一貫している。氷帝が崩されるときは身体の疲労等の外的要素が主である。
余談3) 幼稚舎から氷帝に入れる親は九分九厘自身が氷帝の卒業生だと思う。氷帝に幼稚舎から通わせる選択は、卒業生の彼らが氷帝という不自由の無い環境を経験した結果なのだと思う。自らが氷帝に通っていた過去に、不自由しなかった記憶があるから、子供の為に氷帝を選ぶ。自分の子供に適した学校であるかどうかの判断はまだ出来なくとも、氷帝幼稚舎に入れておけば、自分の子供が不足の無い環境で過ごせるだろうという見通しを立てている。備えあれば憂い無しを地で行く氷帝卒業生たちは、持つ者の余裕と優越でなんとなく氷帝を選ぶ。氷帝幼稚舎から中等部まで、少なくとも6-9年の学費と入学金を必要経費として支払う力のある家が、自分の子供を氷帝に入れる。氷帝学園に子供入れるために、他の何かを諦めたりする必要が無い余裕のある家だ。中一の息子をスイスに短期音楽留学させる家が、古武術の道場を営みながら息子にテニスをさせる家が、23区内庭付き戸建てで犬を飼っている家が金に余裕が無いなんて言わせない。一般家庭からしたら二の足を踏むだろう氷帝への入学が、平然と進学先の選択肢として有るところが、氷帝イズムを感じさせる。氷帝学園の取捨選択システムはここでも姿を覗かせているのだ。(これだけ考えておいてこの一族皆氷帝システムが、跡部と忍足には掠っていない所がほんとにくそったれって感じ。氷帝トップ2ぶってる彼らは全く別視点から氷帝に入学してきている)→かつて【テニミュ界隈演劇】と【テニミュ】を一緒くたにして炎上した演出家の一件があったが、跡部を取り巻く氷帝の構造もそれと似ている。【氷帝学園生】と【氷帝の跡部】は構造がまるで違う。跡部景吾が氷帝生のシンボルであることは明白でありつつ、【跡部に代表される氷帝生】という言葉は破綻していることを心に留めておきたい。頭が痛い。
また、親世代の選択として考えると開業医の息子である忍足謙也が府立に通っている違和感が凄い。氷帝の話から逸れるので割愛するべきだけど、忍足一族の話が大好きなので無理やりねじ込む。ペアプリで語られているとおり、謙也は将来医師の道を進むことを意識している。謙也の名付けが祖父である事からも、忍足家(特に忍足宗也(謙也の父親)の世帯)は、謙也から見て祖父母世帯との関係性が人並み以上であると推測できる。親は医師になって欲しいと思っているだろう、という謙也の語りは、進路を考える上で医師の道があることが分かる。そうした環境を作った側である謙也の父親の宗也が、長男を府立中学校に入れた意味とはなんなのか。金銭的な理由からではない筈だ。江戸後期から蘭学を学んで、帝のお膝元で医術を生業としていた家が、現代でも開業医を2代にわたって営む家が、母親が看護師という環境で、金銭的に不自由しているとは言わせない。兄弟二人とも医者にしておいて、長男に家を継がせず大学病院で臨床と研究をさせている忍足家が、孫の進学先に口を出せるだろう忍足家が、内孫である謙也の進学先に府立を選ぶ意味が知りたい。
四天宝寺の特色は、お笑い要素、テニスの強豪であること、全校生徒が文化部運動部の両方に所属すること。いずれも学業に重きを置くと考えると、良い環境とはいえない。地味に文化部と運動部の掛け持ち必須なところが、時間的にも金銭的にも生活を圧迫しそうだと感じる。学力としても金銭としても、わざわざ受験が必要な府立の四天宝寺を親世代が選択する意味がないのだ。そうなると四天宝寺という選択は親世代の選択ではない。謙也本人の意思だったと考えられる。テニスが強いところで楽しく勉強したいから、といって謙也が持ってきたのが四天の入学案内だったと考えるとしっくりくる。
謙也の選択だった場合、忍足家は謙也の自主性を重んじ、子供の希望を尊重してくれる方針ということが分かってくる。もしかしたら宗也自身も次男として瑛士より比較的のびのびと育ってこれた部分があるのかもしれない。だから謙也の希望にも応えてあげる度量があった。それでいて医師になってほしい気持ちを覗かせてしまうところは謙也の父親らしい。親として公の部分では府立へ行かせる柔軟さはありつつも、人として私の部分では自分と同じ道を歩いてほしいというのが、エゴイスティックで人間らしい。忍足謙也の公私論はこの父親から色濃く引き継がれている。謙也の在籍が府立の四天宝寺ということから、忍足宗也家の教育方針ガわかってくる。子供の自主性をそれなりに組んでくれるゆとりのある家庭だということが分かる。
氷帝立海と同様、これだけつらつら書いておいて恐らく四天宝寺については府立という部分よりも、モデルとなった実在の四天王寺をイメージしたほうが無難だと思われる。女子高だが、難関として名高い伝統校で、理系に強く、医歯薬について学べる。京大阪大への合格者数も多い。偏差値は最高難度の医歯特化コースで72をマークし、入試倍率は6倍(全コース含めると2.2倍ほど)。1組と2組が医歯コースなんだろ?3年1組と3年2組が医歯薬コースなんだろ?謙也と白石が3年2組で同じクラスの理由がそこにあるんだろ?もう何でも知ってるんだからな。
参考文献(テニスの王子様関連書籍除く)
菅付 雅信 物欲なき世界 2015/11/02 平凡社
参考URL
https://www.inter-edu.com/forum/read.php?1255,3187950 首都圏 27校 敷地面積比較
https://www.mskj.or.jp/report/2586.html 明治時代前期の教育 国家主導の教育の考察